託児室で車座になり改修の目的と意図が院長より語られる。ミルクの残り香が愛おしさを運んでくるこの場所は患者やスタッフのための託児室として機能してきたが一定の役割を果たし、産前の相談室としての場が描かれていた。開院以来、産後のケアを目的とした「産後ケアルーム」の増設、多目的利用を促進するための「ホール」の新設、スタッフの環境整備を目的とした「スタッフルーム」の新設と、常に時代と社会からの要請への応答として、あるいはより良い医療環境の構築を目指して新陳代謝を行うべく改修が繰り返されてきた。そして今回の「産前相談室」もまた患者の不安に寄り添い、ダイアローグの深度によって患者との誠実で丁寧な応答関係を形成する場所とすることが求められていた。
目的的でない場所は多様なアクティビティを生み豊かになることを経験より知っている。相談室の待合機能としての「ラウンジ」は送迎を待つ患者、待合室に入り切らない付添い人などの居場所となるよう、そして何よりクリニックに有する「自由」の表徴としてエントランスホールに開くこととした。
既存の用途(託児室)を新たなプログラム(相談室)とし、さらに3室に区分するためには工夫を要した。紙に走らせた鉛筆の跡がやがて円弧を描き、主要となる2室間(相談室1,2間)を区画する。適正な面積配分、採光、風景の獲得を目的としたものであったが、一室には凹状の壁にソファベンチを沿わせ、もう一室には凸状の壁に光を沿わせることで、それぞれに個別的性格を与えられたことは自身の発見でもあった。
既存のクリニックはとにかく光に満ちている。光を十分に取り入れる開口を随所に設け、その明るさが本クリニックの特徴にもなっている。しかし今回の相談室にあっては室全体の照度を落とし、テーブルの上のペンダント照明によって患者とスタッフが向き合うその場所だけをほのかに照らす手法を採用した。産前の相談には喜びに満ちた明るい希望だけではなく、患者の哀しみに寄り添う必要があることも想定されること、そしてユニバーサルデザインが障がいを持たない人にとっても使いやすいデザインである発見と同じように、空間の性質は困難にある人(マイノリティー)を射程とすることで全方位的利用が可能となると考えたことがその理由である。
建築家にとって事業者に伴走することの喜びは大きい。事業者の思いを空間へと翻訳し、結果、それが社会への奉仕につながることに建築家という職能の醍醐味があることに引き渡し前の相談室に一人立ち、改めて実感する。
思い返すとクリニックの門出は震災後の、景気の先行きの見えないまとわりつくような暗闇に覆われた時期だった。開院の日の朝、集められたスタッフの末席に立ち、目指すべきクリニックの方針が院長より語られるのを聞いた。そこには悲哀も自惚れもなく、使命感だけが静かに語られ、希望に満ち溢れるスタッフが肩を震わせるようにしてその話を聞いているあの時の様子を思い出していた。